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ATOPI / PERSONAL RECORD

アトピー闘病記録

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〜幼少期(〜幼稚園)〜



幼少期の記憶はほとんどありませんので、あまり参考にはなりません。
すいません。

ただ、母の子育て日記において、
「この子は、汗疹がひどい。なぜだろう」
みたいな一文がありました。

しかし、この時はアトピーとは気づかず生活していたようです。

〜小児期(〜小学校)〜



小学校低学年の頃、親がアトピーという情報を手にいれ、
初めて、僕がアトピーであると確信し、病院へ連れて行ってくれたようです。
(1980年代後半)

この頃、やっと社会的にもアトピーが認識されてきた頃で、
最初のステロイド最盛期だったのではないでしょうか。

当然のようにステロイドを処方され、
当然のように風呂上りに一度、毎日塗り続けました。

薬はチューブの物でしたが、何であったか正確には覚えておらず、
いろいろな種類を処方されていたようです。

ダイアコートだったのではないかと親とは話をしたことがあります。
(ダイアコート:最強のステロイドの一つです)

この頃の僕はそれほど重症ではありませんでした。
症状としては、肘裏、膝裏、背中、腰の辺りに激しいブツブツが
できてました。激しいかゆみはありましたし、
いつも服は血まみれになってましたが、そんなに深刻に考えていませんでした。

スポーツ少年だったので、スポーツも激しくこなしていました。

この頃は、「成人すれば治るよ」と周りの誰もが言っていました。
僕もそれを信じていました。

〜青春期(〜高校)〜



中学・高校と進みますが、アトピーは一向によくなりませんでした。

むしろ、ひどさを増して行きました。

小学校までのブツブツアトピーだけではなく、
カサカサアトピーも発症しました。 (部分的)

皮はモロモロ粉のように散り始めましたし、
アカギレのような、割れ目も現れ、
裂けては血がでてしまい、激しい痛みを伴うアトピーとなっていました。

この頃には、少し離れた場所にある、
アトピーで有名な皮膚科の先生のところへ通う事となりました。
ここでは、保湿剤と混ぜた形のステロイドを処方されました。
場所によりステロイドの強度などを変えていました。

スポーツは依然続けていました。
高校の頃などは、365日中、360日は部活で汗を流す生活でした。

〜青年期 前半(〜大学)〜



初めて、アトピーが爆発的に悪くなったのが、
この時でした。

地方の大学に進学した僕は一人暮らしを始めました。

初の一人暮らしとなったのですが、食事も丁寧にとっていましたし、
特に不規則な生活は送っていないつもりでした。
ですので、一人暮らし始めた1年くらいは特に変化はありませんでした。

しかし、大学2年になりキャンパスの移動による引越し後、
急激にアトピーの症状に変化が訪れました。

この時、タタミの家に引越したのが失敗でした。

症状:
痒みの増大
患部の増大
カサカサの増大
痒みによる寝不足

ここまで酷くなった事は過去になかったので、正直あせりました。
いくら薬を塗っても一時的にしか治まらず、日に塗る薬の量は増大の一方でした。

しかし、学生であったため、2年生の終わりまでは、じっと耐えました。

2年末の試験が終了後すぐ実家に帰宅、親と相談した結果、ステロイドを使わない治療が
ある事を知り、その先生の元へ行く。
(1998年 丁度、ステロイドの副作用について大きくメディアに取り上げられた頃)

ここで、脱ステロイド治療を行う。ステロイドの変わりに、ワセリンという
保湿剤のみを使う治療を行う。

その他、血液検査などを行い、原因が何であるか調査を行う。

IGEの値が1万を超える。
食物アレルギーとして、
米・小麦・そば が過剰反応


この時、家族と共に初めて脱ステロイドに挑戦したのですが、
正直、かなりつらかったです。

しかし、この治療で治るという先生の言葉を
素直に信じていた僕は何も疑わず、治療に専念しました。

食物アレルギーに関しては、どうしようもないので、無視し、
今まで通りの食事を続けました。

約2ヶ月実家で過ごし、ピークを超え、回復の兆しが見えたので、
大学に復帰しました。

その時に一人暮らしの家へ戻ったのですが、調子は一気に下降。
やはり根本原因はこの家にあると判断し、引越しを決意。

早速、新築のフローリングの家に引越しを行う。

すると、状態は回復へ向かう。
ステロイドも使うことなく、ワセリンだけの生活を行う。

半年ほどは、3歩進んで2歩戻るという状態を幾度となく繰り返したが、
その年の冬にはほぼ通常の生活にもどる。

この時、自分のアトピーはタタミなどダニが原因ではないかと確信する。
(これは、後に確信ではなくなりますが・・・)

病院は、地元の皮膚科へ通う。
脱ステロイドしている事など説明すると、治療方針を僕に合わせてくれ、
ワセリンだけの処方を行う治療を行ってくれた。
ただ、ワセリンだけが欲しい場合は、薬局で買うことも増える。

この時、ステロイドとの決別は成功したものの、
ワセリンは、相変わらず常用する。

その後、再発することなく大学〜大学院を卒業、就職する。

〜青年期 後半(〜就職)〜



就職により上京し、東京に移り住む。
この時、過去の経験を踏まえ、タタミの家は避け、フローリングの家に住む。

ほぼ1年間は何もなく通常の生活を繰り返す。
病院には行かず、薬局でワセリンを買うだけの治療を行う。(ワセリンは塗り続ける)

ただ、会社はかなり忙しく、帰りはいつも11時を過ぎるような生活ではあった。

1年が過ぎた頃、少しアトピー症状が出てきたが、悪い波が来ている位だと判断し、
特に気にせず生活を行う。

1年と半年が過ぎた頃、近くに好条件の家を紹介してもらい、
タタミでない事を確認し引越しを行う。
(2003年9月)

引越し後、2ヶ月あたりから、急激にアトピーが悪化し始める。
今度の家は、タタミでもなく、掃除もこまめに行っていたので、
ダニが原因ではなく、何が原因かわからず、苦しむ。

そこで地元の病院へ行くが、ステロイドを処方すると言われ、
大喧嘩する。

「ステロイドは嫌だと言っても、使いすぎなければ大丈夫だから」

以前、アトピーで悪くなったときから6年も経っており、
その間、病院へ行ってなかったので、現状を把握しておらず、
ステロイド治療に関しても見直されているものだと思い込んでいたため、
この時の先生の発言・態度にはがっかりする。

その後、インターネットにおいて、脱ステロイドの病院を捜す。
横浜の吉沢皮膚科へ訪問。

この病院において、脱ステロイド+脱保湿という知識を頂く。

僕の場合、脱ステロイドには成功しているが、保湿剤依存症であると診断される。
確かに、保湿剤は脱ステロイド後6年間毎日マメに塗り続けていた。

そこで、先生の方針に基づき脱保湿を始める。
この時、会社は普段通り通っていたのだが、保湿リバウンドによる肌のカサカサが酷く、
とても仕事ができる状態ではなくなり、会社に長期休暇を申請し休み始める。
(保湿剤はやめたが、モクタールという茶色い痒み止めは少しなら塗ってもよいと言われ、辛いときに塗る。しかし、ちょっとで止められるわけがなく、塗りたくった)

*余談 モクタールは服などを汚すため非常に厄介。
      この制で、Yシャツをいくつかだめにした。先生に先に言ってくれと
      文句を言ったが、笑ってごまかされた。

一人で家での闘病を始める。
この時、先生に教えてもらった様々な事に気を付けた生活を送るが、
(食事・水・運動・掃除・換気 etc...)

一向によくならず、むしろさらに酷くなる状態に絶望する。

一人暮らしの限界を感じ実家へ帰るが、実家でもよくなる兆しが見えず、
再度、一人暮らしの家に戻り吉沢皮膚科の吉沢先生に相談し、
入院する事を決意する。
(一人では鬱になりかけていることを自分で認識)

脱ステロイド+脱保湿剤での治療方針で入院可能な病院はほとんどなかったが、
兵庫県伊丹市にある近畿中央病院の佐藤先生を紹介してもらう。

(この時の治療方針となる「脱ステロイド療法を受けられる方へ」が、
知識”のページからDL出来ます。参考にして下さい。)

この病院にて、約45日間の入院生活の後、退院、
理由はよく分からなかったが、やはり家が不安だったので、
今回も引越しを行い、都内から出ることにする。
(この入院で脱保湿を行い、成功する。また、アトピー仲間がたくさんでき、
  会話する相手がいてくれたので鬱状態にはならずに済む)

今回も新築フローリングの家を選択しする。
一度会社に復帰するが、アトピー以外の理由で退社。
現在に至る。
(2004年9月)

今回の治療後(退院後)も、3歩進んで2歩下がるを繰り返すが、 着実によくなる。

退院したタイミングで、悪化した事もあったが、落ち着いて大きく見つめてみると、
全体的に回復方向であったのではないかと思う。
(ただ、毎日の変化の中では、良くなっているのか??という疑問と毎日戦っていました。薬を塗ろうと何度も思いました。でも、それは耐えるしかないです。痛みや痒みも勿論ですが、気持ちに耐えるしかないです。治ってると信じて。)

今回の治療で最も大きいことは、全く薬を使わなくなった事。
ステロイドどころか、保湿剤も一切使っていません。
飲み薬も使っていません。(退院当初は、寝れない時は睡眠薬を少々服用)

このように、僕のアトピーは2度の大きな波が来ましたが、
それぞれ、
薬の服用を止める治療により回復に成功
しました。

細かい、治療内容は別のページで紹介します。

— END —